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前回の結論―悪は人間の心の中にあるーは、その言葉
だけを取り出して眺めてみると、誤解される余地がある。そ
の誤解とは、悪が人間の中にあるのであれば、人問は「神の
子」ではなく「悪の子」ないしは「罪人」と言えるのではな
いか、と考えた場合である。前回の説明を注意深く読んだ人
はそんな解釈はしないと思うが、この点を明確にしておくこ
とは必要かもしれいない。私の言う意味は、「悪を悪として
感じる原因は、人間の心の中にある」ということである.前
回も触れた「釈迦と悪魔」という文章には、このr悪を感じ
る原因Jのことを「悪さの量りJという言葉で表現している。
また、この反対に「善」を感知するもののことを「善のセン
サー」と表現している。
この2つの“測定器”は、本質的には同じものと言って
いい。それはちようど、「同じ幅の目盛が入った長い物差し」
のようなもので、物差しの上の数値には旺の値」もあれば「負
の回もあるというわけだ。単純化して書けば、こんな感じ
だろうか……
私たち人間は皆、こういう善悪を測る“物差し”を心の中
にもっていて、周囲で起こる様々な事象や現象に、この物差
しを当てて測るのである。そして、「これはすこく善い」と
かにれはちよっと悪い」とかにれは善でも悪でもないJ
……などと評価する、と考えられる。
問題は、この“善悪測定器”が各人バラパラである場合
が多いことだ。前回は、「コップに水が半分入っている状態」
を例に引いた。これをフラスの価値として見る人と、マイナ
スに捉える人がいるだけでなく、同じ人間でも、喉が渇いて
いる時とそうでない時とでは、評価が違う傾向があるから、
やっかいだ。もっと大がかりな例を出すと、先日、プッシュ
大統領加(キンス夕ンを訪問した際、反米デモが起きたこと
が報道されていたが、この中に「ブッシュはテ□リストだ!」
と書いたプラカードがあった。